2006年09月03日

播磨灘物語    司馬遼太郎

無私の涯(はて)
戦国期、黒田官兵衛(如水)の物語である。豊臣秀吉の天下盗りを構築した立役者の物語でもある。竹中半兵衛とともに、日本史の天才戦略家の一人にも数えられる。
ご存知の方も多い事でしょう。
明鏡止水
優れた戦略家に共通する事は、流れの変化(兆し)、事実・現象をありのままに受け取る事だ。己の思考や感情立場で歪める前に。そして相手の思考で物事を理解し、打破の持論を組み立てる。支配する者は支配される者の心に聡くなければ、影響を与えられない。
つまり、「理屈を超えた動かし難いその人の価値観」を知る。そこに働きかけねば人は頑なになるだけで心服しない。人は最終的に自分の判断での選択を望む。
自分の気持ちで相手を理解するのではなく、相手の気持ちで自己の働きかけを巧みに変容させなければならない。兵法が、「奇正応変の才」と類稀な奇才と称されるのもこの所以かもしれない。

人間は関係の中で初めて存在する
官兵衛は敵に長い期間幽閉されてしまう。そのため髪が抜け落ち、足の関節も固まって動けなくなってしまう。主人公は、世情と隔離された孤独と無機質な牢獄の中で、自己の命の存在というものと常に向き合わねばならなかった。人間が人間として存在するためには相手が必要なのだと言う。
相手が存在するという前提があるからこそ、自分というものが表現できる。
逆に言えば、自己を見出す為にも、対象となるものが人間には必要なのだろう。
人が生命を維持する上で、コミュニケーションの効用が見直されているのではないかとふと考えざろう得ない。

敵を愛せ
栗山善助の対し、「敵を可愛いと思え」と官兵衛はいう。合戦という殺戮行為が、元来異常な事である。この異常な事を己らとともにやっているのは敵だけであり、そう思えば戦う者にとって敵ほど可愛いものがあるか。と。憎まなければこの異常な行為は出来ない。敵を憎んでは悪いのか」と反論する。「憎んでも良い。憎しみの中に可愛さを入れるように努めよ。その分こちらの丈が伸びる」
官兵衛は、討ち取るにも敵に良い振舞をさせよ、良い最後を飾らせよ。と言う。
人間の戦史は、復讐の歴史でもあり、禍根をどれだけ軽くするかは、後の治世に大きく影響を与える。またこの時代は、敵が味方になり、味方が敵になり人間関係が、錯綜する時代でもある。
また強い怨みや憎しみという心情そのものが常軌を逸した状態とするならば、対極の心情の慈しみを持つ事で、自分の心と行動の中正を図ろうとする官兵衛の哲理なのかもしれない。

後記
作品を通じて黒田官兵衛のそのものは、ひどく透明感のある漢に写った。司馬先生の作品の中では、あくの強い個性(型破り)が多いが、その中では珍しい人物と感じた。
才能は時に有力者に重宝がられるが、時に恐れられもする。
才能の表現の場を得るには、無欲を強いられる時もあるのだろう。
posted by 商いの道 at 06:15| Comment(17) | TrackBack(0) | 歴史小説に学ぶ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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