2006年04月09日

「楽毅」         宮城谷昌光

―人がみごとに生きることは、むずかしいものだな―
物語の主人公楽毅のなんとも言えぬ呟きからこの長編物語は始まる。
三十代半ばにさしかかると、こんな主人公の気持ちに、ふとある種の魅力を感じるのは私だけではないでしょう。長編でありながら、一気に読める物語である。

主題
「人が見事に生きるとはどうゆう事か」
作者は、楽毅と物語を通じてこの素朴にして難解な問いに真摯に応えようとしている。
人生という時間と空間で起こる事は、時に自分ではどうにも出来ない大きな力で左右される。主人公の楽毅が生きた時代は戦国時代で国家の興亡が人の人生に陰を落とす。
有能な人物として、評価されつつも国力の乏しい小国故の不遇な前半。楽毅は、国を転々と迷走する。敗国の将は、他国では往々に見下された存在である。
これを現代に置き換えると、自分の活きる場所を求める転職者として、また生き方を貫く為に適地を探す救道者としても見てとれるのではないか。

読後の収穫
「生きるとは起つ事也」
〜証しを創造する〜
不遇な人生を長く過ごすと無力な自分を時に呪う。後世に名を残す人物も同じ人間であり、また有能な分迷いや悩みも深く切ない。多くの人は、中途な悩みの余韻に浸り、自分で自分を呪縛してしまう。その事にすら気付かない人もいる。私もその一人だろう。
主人公楽毅は、低迷の中から一つの哲理を導き出す。生きるとは起つ事なのだと。
「起つ....企てる」と辞書には記載がある。つまり、この世に何かを起す事が生きることなのだ。人には個性がある。何故一人一人が異質なものをもって生まれてくるのだろう。個性を開花させこの世と人に働きかける。それが、自分自身の道を自分で歩むという事なのかも知れない。

「決断」
〜勇気の源は何処からくるのか〜
「勇気とは、人より半歩進み出る事。人生でも戦場でもその差が大きい」(本著より)
人生をより良く生きたいと願うのは、皆同じである。しかし混迷な時代では、現状の自分の進退を決めるには、不確実性が強くつきまとう。未知の領域で困難の片鱗を感じると、人は足がすくむものだ。人の上に立つ立場では、人に影響を与える分責任も重い。。
将来は、約束されたシナリオが展開されるわけではなく、自分で拓き、創造するものであると誰もが知っている。そこに尊さがある事も知っている。では、あの時何故自分は、動けなかったのか。不確実性の排除、見えないものを観る努力。事前準備、先の先への配慮が必要なのではないか。

後記
「家族の事だけを考えて生きてゆけば穏やかかも知れぬ。しかしそれだけの人生だ。他人を思いやり、他人の心を容れて、他人に尽くせば、自分だけでは決してあうことが出来ぬ自分に会える。どちらが本当の自分という事ではなく、どちらも本当の自分である。あえて言えば、自分と自分の間にあるすべてが自分である」(本著より)
楽毅が、最終章で言う言葉である。著者の人生観がここに凝縮されているのではないか。
人生には理不尽な事も多い。努力が実らない事もある。
物語に出てくる人物は、人の真・善・美を鳴らす人もいれば、嘘・悪・醜を放つ人もいる。
様々な人間像を大きな時間軸の流れで観て取れるのが、歴史小説の味わい方の一つだろう。また「死ぬまで生きる。このわかりきったことを、いまようやく、いえるようになった。」後に、楽毅の息子の教育係になる単余の一言が大きく残るのは私だけではないだろう。以上

今回紹介させて頂いた本
posted by 商いの道 at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史小説に学ぶ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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