2005年04月23日

「国盗り物語」司馬遼太郎



人生は短い。ならば我に何をさせるのか。ということを戦国時代の二人の両雄の個性と生き様を通じて物語は展開していく。
「国盗り」天下を手中に治めることを野望とし命がけで自分の版図を広げていく。既存の社会的仕組みや制度を破壊し、新しい枠組みを作る様はベンチャー企業や、異業種参入の企業活動が既存業界に揺さぶりをかけるのに似ている。この小説は、二人の革命連歌である。物語は前半を斉藤道三、後半を織田信長として構成されている。

着眼点(ここに注目すると大きな収穫があるのでは)
創意工夫、不可能から可能へ
斉藤道三は乞食坊主からやがて美濃一国の主となり、美濃の蝮の異名をとる。無手からどうやってのし上がったのか。驚くことに彼は、二人の自分を作り二人の人生を同時に駆け抜ける。
読後の収穫
諸事、芸をもって臨む。「芸」すみずみまで行き届いていること。転じて隙がないと解釈
 道三は槍の名手であり永楽銭の穴程の的はどの様な状況でも貫くほどの腕前に自己を仕立てた。しかも最も扱いにくい竹薮の中でさえ苦も無く出来るような徹底ぶりである。目当ての女人が現れれば、女の体の口説き方をその道の手解きを連日に渡り身に付けて臨む。確実に前に進める見込みをもって事に当る。
大事の為に小事を怠らず「策略」望む未来図を手繰り寄せる働きかけ。
道三は濃密に時間を過ごす。目的地から現在の距離と時間を逆算して生きていく。目的と手順、その方法を具体的かつ自然に実行し、布石を穿つ。窮地の退き際でさえ。大胆な生き様には、切り札と奥の手という二重三重の保険?があってこそなのか。
時代は、より良きものに身を任せることを欲する。「諸行無常」荏胡麻から菜種へ
美濃の蝮と恐れられた道三は、ふと老いを自覚する。その感情は、むしろ命の衰え近しという切迫感に近い。老いそのものは至極当たり前であり、その意味では自分は何人とも変わりないただの人間である。婿の信長の会見前、灯火の油は荏胡麻だった。しかし、今は菜種に取って変られた。と感慨をめぐらす。

着眼点
天才の盲点
信長は多感な時期を孤独に過ごす。当時にグレるという言葉はないであろうが。まわりはそれ
に近い白眼で彼を見ている。決して観ているわけではない。信長は針の莚状態で城内、城下の改革を行う。短気者として挙げられる信長が、実は「勝つまで準備する」という慎重さをもっていたことは意外に印象にない。では、信長の鮮やかな成功の軌跡と裏切りの暗殺の間に横たわるものはいったい何だったのか。

天才の奇行は凡人の愚行に有らず  
「うつけ」常識を逸脱した行為。
尾張のうつけ者、後の信長は実利を尊ぶ。徹底した合理性は伝統や体裁という曖昧な隙を許さない。季節を問わず、遠乗り、川潜りは、来る戦陣での地形、気候の変化を肉体で理解する行為であった。常人の見識で天才は測れない。
過去は過去
「自分の先例を真似ない」過去の成功絵図で、将来図は保証されない。昇り調子の落とし穴、人の思考は自分の過去の先例を模倣する傾向にある。しかし、信長は、常に重要な決定を白紙に戻して考えを練る。局面において独創的な発想は、妙技にこだわる専門家というより、むしろ定石を固める素人?に近い。確実に勝つ条件づくりに全てを注ぎこんだ。

人は信ずるものに従う
「人に個情あり」個人が物事に感じて動く心。
積重ねられた感情は個人の判断を時に蝕む。名誉は圧力、褒めれば皮肉と。上を見れば下が見渡せず、下を見れば上に気付かず。

後記本の価値は、手にした人が何度読んだかで決まる。
個人的には、前半(斉藤道三)が面白く読めた。信長の天才、異才さは際立ちすぎて(笑)。道三がすぐ女性に惚れるところは、かわいげを感じさせる。
posted by 商いの道 at 10:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史小説に学ぶ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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