2005年05月07日

「自分の限界を感じたあの日」熊野古道・高野山 空海との出会い

今回は少し赴きを変えて、自分自身の体験を綴ります。少々お付き合い願います。

僕は数年前の冬、ある会社を辞めました。当時の僕は、精神的にも肉体的にも限界を超えていました。家には帰れない日が半年以上続き、退職期日は伸び伸びになり、エンドレス・ジョブ!まさに「狂う」という状態でした。「枯渇したものを養わなければ自分は前に進めない...。」というよりむしろ、この状態で時間が刻々と過ぎる怖さから僕は逃げたかった。

 こんな時、人は非日常を意図的に演出する手段を知っている。「旅行」ではなく、それは「旅」なのだ。剥き身の自分と向き合い、雑音のない世界で自分と対話する。レゲーの神様「ボブ・マーリー」が言うように「内なる心の声に耳を傾ける」という時間は長い人生の中で突然やってくる。

明確な目的を伴った時間は、経験として蓄積され、感覚を鋭敏にさせる。そう僕は、旅の目的、テーマを持ちたかった。自分の経験を超えた世界...。つまり「歴史」。風化されることのなく維持されてきた価値観というものに触れてみたいと。

現在という自分が生きている世界と時間は、歴史という流れの一つの断面図に過ぎない。

「目指すもの」と「目指し方」〜あえて不便の利を見つめなおす。 
世の中が便利になるにつれ、当たり前の事を見過ごしがちになる。僕がここで言いたいのは「有難味」の感覚が自分の人生の味わいに大きく影響を与えているという事です。
僕は、当時生意気?に車を持っていました。しかし、この旅には不向きと考え、バイクを購入しました。HONDA Benly50という原付バイクを購入し、「熊野古道」を走る事を心に決めました。
季節のもたらす感覚、風・匂い・温度・色彩...。真冬の赤い原付バイクに70リットルの巨大ザック、他県ナンバーは、立ち止まり地図を確認する度に、多くの人の優しさに支えられた。

終着点の感動は、出発からの道程が左右する
こんな言葉はないが、快適とスピード重視の為に途中、多くのものが耳と目に入らないでいる自分に気付いた。車よりも遅く、車よりも寒く。囲いの無い剥き出しの世界は、時に突き刺す程容赦なく、時に包込まれる程素晴らしい。バイクならではの良さの一面を垣間見た気がした。人様の恩恵で今生きている
自分が築いた世界(人間関係・勤めた会社・今居る家)から飛び出れば、浮き草であり、自分が見知らぬ街の見慣れない真冬の風景である事に気付く。

「兄ちゃんこの雪の中バイクで何処に行くのかね?」
「この道を真直ぐ登って高野山にいきます」
「ほ〜ぅ!寒心だね。この天気に登るのかね」
「はい。」
「兄ちゃん。雲、突き抜けちまうよ」
「??」
「天国さ」
「...!」

「冷えただろう」
「とても」
「まずは、あったまりな」
「ええ...。」
「一人増えようが、変わりは無い。火は変わらず暖かい。そういうもんだ」









posted by 商いの道 at 00:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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