2005年04月24日

「織田信長」山岡荘八



着眼点
乱世という時代認識と乱世終焉の使命に己を捧げた人。
自らを尾張のうつけか天下の主かと謳う。作者は織田信長の波乱に満ちた人生と苛烈な生き様を躍動感をもって刻筆している。この本からは、彼自身の行動が一種の気迫の賭博であり、熟慮の心理戦の連続であることが窺える。当主とは一つの決定、発言、行動が敵味方に有機的にその行動の舵に深い影響を与えている事を胆識している。天才信長と言われる所以として、己の意図と相手の察する意図は、人物の器量に左右され時に、意外な程、異なることを逆利用した。人の誤解と理解を巧みに敵戦と組織強化に意図的に反映させている。
 信長の人材登用とその接し方は非常に独特である。乱世という非常事態は臨機応変の才覚と行動力がものを言う。人の裁量と器量を常に試す。難問、奇問で部下の人才を磨く。これが内部の独特の競争と協力を生み組織に粘質な活性剤をじんわりと浸透させ志将集団の体制を敷いていく。「もし、信長が天下統一をしたらどの領土がほしいか!自由に申せ」と笑い。「そうか、ならばそちにその国をやる。取って参れ」と。琴線に触れる人間は身分を問わず引き立てる。特に秀吉との出会いと登用、用い方と評価は興味深く描かれている。人に惚れるとはかくも楽しい事なりと謳うように。
 また同時に、切れ者の誤解の恐ろしさを光秀を通して描いている。功を立てさせようと重責を与えると、失脚を狙う機会を窺っていると明晰な根拠を探し出し、陰惨な解釈をされてしまう。人の誤解は一種の呪縛として当人の思考を曇らせ歪ませる。感情は思考を凌駕する。天下人信長に光秀はどのように移っていたのだろう。  

読後の収穫

仕組み(システム)を動かすものは、、、文化
人才を築く風土の創出
 信長は人材の発掘にも力を注いだが、登用した人物、側近の人材を、ことさら磨いた。世の中は下克上のなので側近に実力をつけさせることは、ある意味寝首をかかせる行為だったのかもしれない。それを平然とこの時代にやってのけた信長の度量は計り知れない。信長という天才を全員で支えるというより、信長という器の中で、異才者達が凌ぎをけずるような集団だったのかもしれない。

刹那の分岐の繰り返し
 運命は日々の決断次第
 世の中に出来ぬ事はない。出来ぬとはまわりが勝手に決めた事に過ぎない。また自分が決めたに過ぎない。信長は活動の質と量が桁外れに優れている。これは結果をみて過去を振り返ればそうだったといえる。しかし、結果が出るまで、日々人はその決断の意思を強固に持ち続けるかどうか。ここが分岐点である。

感情は思考を凌駕する
 理性は方向を示すが、感情のエネルギーに左右される。作者は本当は何を伝えたかったのだろう。感情 に左右されれば動きは感情のはけ口以上には進歩しない。つまり発展がないということなのか。マイナスの感情は押さえ難く思考を歪ませる。

後記
激烈な本です。結局人は、核心においては孤独なのかもしれない。その時の、人と世に受け入れられ実現されれば正しく、そうでなければ悪かバカ呼ばわりされる。今回は、あるベンチャーの社長が、薦めたのがきっかけだったが、時代を切り拓く者の情熱と孤独を感じました。

「織田信長に関する書籍」
posted by 商いの道 at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史小説に学ぶ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月23日

「項羽と劉邦」司馬遼太郎



「項羽と劉邦」
項羽と劉邦。一個人としての人格的資質、生い立ちが全く異なる二人を通じて、中国という巨大な大陸の統一までの過程を物語としている。(楚漢の五年にもわたる戦いで中国の人口の半分が戦死したという。)
天才的烈情軍神項羽、底知れぬ虚人の劉邦。両方に通じるのはある種の無邪気さである。では二人の本質的違いは何か。劉備の底知れぬ虚は才人を引き寄せる磁場として結果的に機能した。乱世の才覚を宿した項羽はその才故に才ある人材を登用する機会を逸した。劉備の無礼も自己に欠けた能力の登用意見には真摯に、そして謙虚に受容する。受け入れられるから人は物申す。自分が配下にいる意味を感じる。どの時代であれ自己表現の場を見い出す可能性の高い環境に身を置くのは普遍の心理であり、真理である。

着眼点
 
「大事を成すには独りでは出来ない」という事をメッセージとして受け取れる。人の上に立つものの魅力、人心掌握の魅力とその運用の妙は何かということを考えさせられる。新たに登用される人、古くから仕えている人、様々な角度で局面打開を学べる良著である。

読後の収穫

卒は将の威をまとう
 これは会社の看板を背負う、とも言えるまたブランドともいえる。トップまたは上司の気質や実力はライン部隊の背中を後押しする力にもなり、逆もまたしかり。

才は活き場を求む
 才能は表現を求めてやまない。才能とは究極の個の現れなのだろう。個性をどう活かすかは個人にしても組織にしても永遠の課題なのだろう

今日生きれば明日も生きねばならない
 項羽は、戦そのものは鬼神の如く強い。しかし軍を支える人の食料、兵糧の補給を軽視
した。そのため飢えで兵は衰弱する。ひどく現実的なものだが、今日を乗り切る大変さの先には、明日を生き残る苦労がまっている。

後記
何度も読んだ小説です。これからも読むでしょう。とくに面白いのは、韓信という武将が劉邦と、面談?する場面です。窮地で人を得るとは何か、という面白さを伝えてくれます。また上に仕える人物が変われば、これほど人の才能が開花されるのかという事が伝わってきます。
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このブログの趣旨と私について

2005年4月23日、はじめてブログに挑戦させていただきました。外はとてもいい天気です。私はコンサルティング会社2社を8年程勤めました。その間、営業、総務、経理といいのかわるいのか結果的に一通り(社長を除く)の職種を経験しました。一つ一つに痛い思いで学んだことはかけがいのないことです。特に、新人営業時代に書いた、ノートは大学ノート4冊程の量になります。この時感じたのは、心と頭がすごく整理されたということです。事実、成果も上がりました。このブログという便利な機能を使い自分の整理をしたいというのも目的の一つです。また、場面場面に、その道の良き人がいればその人から教えを請う事が出来ますが、そううまくはいかないのが現状だと思います。本は私にとってかけがえのないものです。しかし、自分にとって名著となるのは、ほんの一握りです。ひょっとしたら、新しい本を読むときは、自分に欠けている何かを探しているのがほとんどです。紹介させていただいたものが、おとずれた皆様にとって有益なものになって頂けたら幸いです。
posted by 商いの道 at 18:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 自己紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「晏子」宮城谷昌光



出合い
作者の本「太公望」を読んで、すごい作家がいるものだと感激し次に手にしたのがこの本す。

着眼点
人の年輪
 本書にはこのような言葉は使われていない。木は季節の寒冷を受ける度に年輪を重ね、毎年幹を太く強くし、やがて内面に年輪という美を刻む。物語全体を通じて私はそんな感想をもった。心が熱くなる本の一つである。司馬遷その人が、「この人に仕えたいと」いう晏子とは「史記」の作者司馬遷が「私はこの人に仕えたかった。」と言った。その意味を探る意味でも読み応えのある本である。
 私はあなたとなんら変わることはない。ただ一度決めた事はやり遂げる。歩き続ければ、目的地に到達する。私は歩くことを辞めない。ただそれだけの違いだ、と。

読後の収穫

気概で切り拓く
 晏嬰には精神の萎えという時がない。窮地になっても、気概そのものが結界のごとく、晏嬰
を守る。またその気概に感激した者には磁力となって魅了される。

理想に打算無し
 集団の柱、土台に位置する者は堅牢でなくてはいけない。理想という箍で組織を組織として動かしていく。人を動かす原動力とは何かを学べると確信します。

歩くことを止めず 
本書はこの一点を言いたいが為に書かれたのではないか。人間みな同じはずなのにどうしてこうも差がつくのか。時間が味方になる人はどんな生き様なのか。この本はそんな疑問に答えてくれる。

後期
前へ...。これは私の母校明治大学ラグビー部の言葉です。この本は私にとって、とても緊張を強いる本でした。晏子自身自分に厳しい戒律を科していたせいもあるでしょう。社稷の臣であり、君の臣ではない。社稷の臣とは社稷を存続させることが出来、上下の本分を弁け、道理をわきまえさせ、百官の序列を定め、その役目をわきまえさせる。晏嬰は当時絶対的な存在の君子に苦言を口上している。この場合死ぬこともある。晏嬰自身が言うように、「和して同せず。」という人に対する仕え方の違いだという。晏嬰自身の社稷に仕えるという気概は局面において人の小心を打ち砕く。あるべき姿を自らで体現していく。高く、永い視点で局面打開に斬り込みをかける。死中に活を求める。晏嬰自身自分自身で判断することが多い程、人の意見を聞かなくてはいけないという経験を若い時期に経験している。「利に幅す」便利さには基準が必要であり、富にはけじめが必要である。欲は充足すると己を滅ぼす恐ろしいものに変わる。自分自身を戒律ともいえる厳しく律していた。
晏子はいう、私はあなたとなんら変わることはない。ただ一度決めた事はやり遂げる。歩き続ければ、目的地に到達する。私は歩くことを辞めない。ただそれだけの違いだ、と。
まさに信念の塊のような人である。信念を貫徹するなら刺し違えても実行する。これは晏子自身、本当に正しいと思うことを実行するのが勇気であると言っている。

posted by 商いの道 at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史小説に学ぶ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「太公望」宮城谷昌光 



表裏の法則を体得した漂流者。始まりは復讐、、しかし、、、
 中国の歴史を扱った小説です。主人公は、商(殷)人に両親を殺害され、同族の孤児とともに旅を続け、商に対し苛烈な執怨を抱く。やがてその思いは商王朝を倒すという明確な目的として誓われ、実現された。
 革命児として時代と大地と出会う人物を望は震撼させる。その意味では幕末日本の坂本竜馬と私は重なる。望は、亡き父の遺言を支えに目的地に子供達を連れて旅をする。そして旅の過程で望自身の気付き、人物との観言のやり取りは、ほとばしる作者のメッセージとして深遠な部分に誘われる。事を興す者の気構えとして本書を読めば活字には書かれていないものも読み取れるのではないか。

着眼点
旅は人を育む 
旅は必要最小限の荷物で移動を重ねる。暮らしの余分なものが取り払われある種の剥き身な状態にさらされる。その分、知覚が増す。「生死の境をさまよいながら生を掴むという体験をしなければ、心胆はすわらない」と。そんな状態の主人公の聴いたことや、気付いたことは鋭敏な示唆をもっていて、時に目が見開かれるような感覚を与えてくれる。

読後の収穫
言葉に命あり
 言葉は聴いたものの心に命として宿る。時にその人個人の命を守り、育てる。日ごろの言動の影響を意識しての行動は難しいが、これもまた道理である。

人は開花する
「素直さ」ありのままで癖がないこと
 歪んだ心は真実を歪めてしまう。「まっすぐにものごとを見れないひとは、どこかで成長が止まってしまう」と指摘する。こどもが瞬く間に物事を吸収し、成長していくのは素直さがあるからでしょう。辛い経験をもつ主人公は人との交わりの中で自分を一つ一つ開花させていく。

森羅万象言葉あり
 先の先への配慮
 複雑系という学問が10年程前クローズアップされた。世界は有機的に関係した仕組みの
中で動いている。
posted by 商いの道 at 10:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史小説に学ぶ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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